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出雲と大和展「 心御柱・ 宇豆柱」がそろって出品決定!

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心御柱・ 宇豆柱
重要文化財《心御柱 》島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土、 鎌倉時代・宝治2年(1248 )、島根・出雲大社蔵

東京国立博物館 平成館(東京・上野公園)で2020年1月15日(水)から3月8日(日)まで開催される、日本書紀成立 1300年 特別展「 出雲と大和 」に「 心御柱・ 宇豆柱」がそろって出品決定!

目次

心御柱・ 宇豆柱

出雲大社本殿は、古代には48mの高さを誇ったといわれています。この高さの本殿を支えるには巨大な柱が必要で あったことは想像に難くありません。 鎌倉~室町時代(1316世紀)に製作された 出雲大社本殿の平面図 「 金輪御造営差し図」には、本殿は長さ109mの長い階段を有し、巨木3本を一組とする直径約3mの柱9本で支えられた壮大な偉容を誇った姿で描かれています。

《金輪 御造営差図 》 鎌倉~室町時代・ 13~16 世紀 島根・千家家蔵 前期展示

しかし、長らく、図面としての信憑性に疑問がもたれてきました。平成12年(2000)、 出雲大社境内の地下1.3mから大型の本殿遺構がみつかり、柱材が出土しました。それはまさに、この御造営差図に描かれた巨大本殿の存在を 裏付けるような発見です。柱材は、杉の大材3本を束ねて1つの柱としたもので、出雲大社本殿を構成する9か所の柱のうち3か所が発掘で確認されています。本殿の中心に位置するのが「心御柱」、本殿正面中央に位置するのが「宇豆柱」です。

「心御柱」と「宇豆柱」は年代測定結果を造替記録に照らして、鎌倉時代の宝治2年(1248)に造営された本殿の柱材とみられます。残存しているのは、深さ約2mの柱穴に据えられた柱の基部であり、側面には運搬時の縄掛けとする孔や手斧痕跡が鮮やかに残っています。出雲大社本殿の巨大さを端的に示す柱材です。「心御柱(しんのみはしら)」と「宇豆柱(うづはしら)」が2件そろっての公開は史上初で、その大きさや保存状態を考えると、今回が“最初で最後”の機会となるかもしれません。

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古墳人気、埴輪人気高まる!!
メスリ山古墳出土の世界最大 の「円筒埴輪」は、東京初公開、修理完成後初公開大和に出現した巨大な墳墓である前方後円墳は、政治権力の象徴で王権の儀礼が繰り広げられた舞台でもあります。奈良県桜井市にあるメスリ山古墳は、古墳時代前期後半(4世紀前半)につくられた墳丘長224mの前方後円墳です。後円部の中央には被葬者を埋葬するために竪穴式石室が築かれています。その上に方形の区画をなすように、約170本の「円筒埴輪」がびっしり並んでいました。被葬者が眠る埋葬施設と外界を遮断し、「聖域」を保護していたと考えられています。
「円筒埴輪」のうち、最も大きなものは、高さ242㎝、底部の直径90㎝、口縁部の直径131㎝と世界最大です。この大きさに対して、厚さは1.6~1.8㎝という薄さ。製作技術の高さをうかがい知ることができます。

日本書紀に記載されている「七つの枝を持つ刀」を裏付ける作品国宝「七支刀」は、通期展示で公開

国宝《七支刀》古墳時代・4 世紀奈良・石上神宮蔵

日本書紀の 神功皇后52年9月条には、百済から倭王に「七つの枝をもつ刀」が献上されたという記述があります。当時の朝鮮半島は、北の高句麗が南下し、百済を攻めていました。百済から倭王への献上は、このような情勢を背景にしています。石上神宮に伝わる宝剣「七支刀」は、左右3つずつの枝刃と、幹となる本体の刃先をあわせて7つの枝があるようにみえる刀剣で、まさに日本書紀に記述されたものと合致すると考えられています。石上神宮では、御神体に準じる神宝であり、かつては御本殿内に安置されていました。通期での公開は珍しく、特別な機会となります。

日本書紀成立1300年 特別展「 出雲と大和 」開催概要はこちら

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