子供の頃、音楽の時間で、
神社でよく流れている
雅楽の「越天楽」を合奏していた。
変わった小学校だ(同級生には、何故かフルートの山形由美さんがいた)。
東儀秀樹さんが我々の前に
姿を表してから、15年程経つ。
それまで、遥か彼方の存在だった「雅楽」。
西洋音楽をする自分には、
まるで縁のないものと思っていた。
東儀さんとは15年前、出会った時からずっと一緒にいる。
いったいこれは、なんて音楽なんだろう?かわっていて、西洋音楽の教育を受けた自分には、あまりに不思議な音だった。
当時、彼のアルバムの中で唯一、弦楽器が登場する曲が、
「午後の汀(みぎわ)」だった。
二胡(中国の弦楽器)と
篳篥(ヒチリキ、東儀氏の縦笛)の、
えもいわれぬ二重奏。
どうしてもこの曲が弾きたくて、
毎年毎年、東儀さんと公演を続けた。
実は子供の頃から、大きな疑問があった。
遠いヨーロッパで生まれたクラシック音楽を、日本人の自分に理解できるのか?
おまけに当時は、日本は外国人アーチストの独壇場。日本人の出る幕は無かった。
「外国人になれ!」とばかりに、
子供の頃から、たくあんも食べず、特訓を重ねたバイオリン。
おまけに、時代はスパルタ全盛期。
テレビでも「巨人の星」、「柔道一直線」と、
重いコンダラを引きずりながら、
根性、根性、ド根性 。
子供には辛すぎる日々だった。
そして時が経ち、「一個でも、二胡。」とか言っている間に、
ふと気がつくと、いつのまにか、バイオリンが、自分のすぐそばに来ていた。
何故だろう?
日本は世界の中で稀にみる、
歴史上、ずっとずっと同じ国だった。
戦乱の歴史を重ねた中国には、もはや日本に伝えた「雅楽」は残っていない。
元来、オリエントの音楽や楽器が、シルクロードを渡り、
ずっと後に、やっと何処かで「バイオリン」が生まれたはず。
雅楽と出会わなければ、気が付かなかった。
遠回りしたけど、日本人で良かった。
ありがとうね、東儀さん。