断捨離のために段ボール箱に詰まった資料やサンプルを整理していたら、懐かしいモノがわんさか出てきました。書類の間に文字校正の用紙が挟まっていました。
池袋LOFTを立ち上げた時、プロモーションのために多数の取材を受けましたが、その時のモノです。
西武百貨店に新入社員で入社した後、一年目はスタジオカーサ(家具インテリア部)でインテリアコーディネーターをしていたのですが、二年目に池袋LOFT立ち上げのためのマーチャンダイザーとして部署移動し、当時の社長だった水野さんの直企画【アルチザンワークス】の担当になりました。
私が西武百貨店にいた頃は、上司を役職名で呼んではいけないという決まりがあったので、社長も部長も課長も係長も、全員●●さん。上司や同僚も部下に対して●●さんと呼ぶ事になっていたのですが、なぜか私だけ“ナベコちゃん”。名前に“子”はつかないのに。部長の松浦さんが命名したあだ名なのですが、かなり拒否したにも関わらず、定着してしまいました。
社内書類が回って来る時にも“ナベコちゃんへ”と書かれていました。企画部署に配属された殆どが係長クラス以上の人達だったので、若輩者として可愛がってくれていたのだと思います。本当に優秀な人たちばかりでした。西武百貨店黄金期を支えていた人たちですからね。
若干23歳で「スーパーウーマン」なんて書かれていますが、デキる先輩たちに囲まれた職場でしたから、触発されて頑張っていたのだと思います。
池袋LOFT Vol.1 アルチザン【えびすストーブ】
池袋LOFT Vol.2 アルチザン【京唐紙 唐長】
池袋LOFT Vol.3 アルチザン【土屋 豊】
池袋LOFT Vol.4 アルチザン【早川 直彦】
以前にUPしたブログですが、実はこのエピソードには続きがあります。
池袋LOFTのコンセプト、『作る・作らせるという行為の触発』
これを明確にするために、日本を代表する作家の手仕事を提案する売り場作り。それが【アルチザンワークス】でした。
記事には「東京の百貨店が自分の作品を取り上げてくれるはずがない」と書かれていますが、実際は、
アルチザンの方たちからは
『作品は自分にとって魂のこもった分身も同然。安易に扱って欲しく無い。百貨店は良いことばかり言うけれど、後が続かないので取引できない。』と、言う理由で断られていました。
頓挫していた企画を私が引継ぎ、1件1件全国を回ってコンセプトを丁寧に説明し、「ご迷惑をお掛けしないように私が責任を持って担当します」そう言って、何とか契約に漕ぎ着けてオープンに間に合わせた売り場です。
西武百貨店という看板を背負っていても、それを必要としない人には何の意味もありません。
いま思うと、全国行脚状態の22歳の女の子に「契約がとれるまで東京に帰れないんです。」なんて言われたら、おじさんたちは心配になって【力を貸してあげようか】と、なりますよね。それを見越して、私を行かせましたね。
担当になった以上、成功させなくては!と張り切っていたので、無い知恵と伝手を使って色々と考えていました。
高額品が多いので、外商の方たちが受注を受けられるようにカタログ製作をしたり、インテリア部で担当した顧客にDMを作ったり、若者世代が本物に触れる機会をつくりたくて、【アルチザンの遊び心】として、低単価の雑貨もリクエストして特別に作って頂きました。
池袋LOFTがオープンして数日後、午後から堤清二会長の視察が入るとの内線連絡があり、スタッフ全員に緊張感が走りました。お昼の休憩をとる余裕も無く、とったところで喉を通るとも思えず、売り場が乱れていないか、不備はないか、念入りにチェックをしました。どの売り場のスタッフも、あからさまに顔が強張っています。それを見て思ったのですが、オープンしている時間帯なのに、お客様そっちのけで会長対策って、間違えていませんか? 社員食堂にも、入社してから3ヶ月間受けた社員研修の部屋にもスローガンの旗が掲げられていましたよ。【顧客最優先】と。
「いま、何階のどこそこの売り場にいます!」と、こまめに連絡が入ります。
2回目の休憩に入る時間になった頃、ご一考が私の売り場に到着されました。部長と課長がまるで助さん、格さんのように会長の両脇に立ち、説明をしています。大勢のお供を引き連れた会長の足元には赤い絨毯が引かれているように錯覚するほどの威圧感。役職をつけずに苗字で呼び合うようなフレンドリーさは会長には通じません。
時間にして1,2分でしょうか。全体を見まわした後に発した言葉はただ一言、
「撤去」
言葉の意味が理解できませんでした。質問できる空気もありませんでした。
視察終了後に戻ってきた部長から説明を受けましたが詳しい指示はなく、必要のない売り場なので「撤去しろ」と言われただけのようです。そんな感覚的な理由で納得しろと言われても、できるはずがありません。
当時、時代を牽引していたセゾングループのTOP、堤清二氏の鶴の一声に、私が一年間かけて準備していたことも、私の言葉を信じて協力して下さったアルチザンの方々の信頼も、欠片も残さず玉砕されました。何でしょう。無罪なのに釈明もできずにギロチン台で処刑にあったような喪失感、もしくは、処刑じゃなくて洗礼ですかね。大企業の駒としての。
自分の努力が報われなかった事よりも、協力して下さった作家さんの信頼を裏切る形になってしまった事を考えると、目の前が真っ暗になりました。
体から体温が徐々に抜けて、膝から砕け落ちるなんて、ドラマか小説ですか。
“作品は魂のこもった分身も同然” その意味を肝に銘じて、大切に育てようと思っていたのに、結果は一緒にギロチン台で公開処刑。
そもそも、これは社長の企画でしたよね? 会長は美術や文化事業に力を入れていましたよね? なぜこうなった?
納得がいこうが、行くまいが決定事項です。すぐに売り場を差し替えるための商品や什器の手配のためにミーティングが行われました。中央エスカレーター脇の目立つ場所で、上り下りワイドでスペースを広くとっていただけに、簡単な事ではありません。
ファッションフロアーならば催事什器を設置して大量のキャリー在庫かメーカー委託品で、簡易的に売り場を作る事も出来ますが、11Fは建築部材や部品を扱う“マテリアル&ツール”売り場です。フロアーコンセプトに合わない商品は置けません。
オープンしたばかりなのに、売り場案内のパネルも冊子も作り直し、TV取材や、特集記事を掲載して下さった雑誌も多数。もうぐちゃぐちゃです。
会社としてはたいした事の無いエピソードかもしれませんが、落とした一滴はいずれ大きな波紋になります。グループ内のあちらこちらで起こっていたのかもしれません。
私でも間違いだと分かるインターコンチネンタルの買収が影響し、西武百貨店は崩壊していきました。不当に降格になった人、意味の無い人事異動。早期退職のススメ。多くの社員が人生を狂わされました。
同期で集まって飲むときには、会社への愚痴ではなく、【どうしたらこの会社がもっと良くなるか】と議論していたものです。優秀な人材が多かったのに。
鶴の一声って怖いですね。