ロスから、ハリウッドの名画音楽会オーケストラ来日。
「カーチス出身なんだね。」羨望の眼差し?
へへいっ。いーだろー。
アメリカンにしか通じない、カーチス自慢。
フィラデルフィアにある。
あの頃は、ハー、
留学とか何もわからず。
ミルシテインの代わりにカーチスに、新入り先生として入ったばかりのロザンドが、まだ生徒がいないらしく、連れていってくれた。
ロザンド初来日の時に、出会ったバイオリン弾きが、もしかして、自分だけらしく?
それも、公演に行ったならともかく、
知人に打ち上げに呼ばれただけ。
「君はいい目をしている。」
とか言われ、カーチス行き決定。
あの頃は、ハー、
天国タングルウッドから戻ったばかりで(よしちゃんのタングルウッド ドラマの年!)、
留学とかしてみたいなー、とか、ボーっと過ごしていた時だっただけに。
ジンバリストの富豪の奥さん、カーチスさんが建てた、江藤先生の母校かー、位の認識。
いきなり、編入。無試験。
行ってみて、たまげた。
全員、タダ。無料。奨学生?
英語ができないから、近くの語学教室に通わされ、
それも、タダ。
何でもかんでもタダ、だった。
あの「オーケストラの少女」の、ムーティのフィラデルフィア響、タダ券くれる。
学校のオーケストラ授業なのに、
昔はストコフスキー(あのオーケストラの少女の!)自分がいた頃は、ハー、バーンスタイン、プレビン、果てはチェリビダッケまで振りに来た!
アメリカ、凄い。
生徒の数は、ぴったりオーケストラに必要な人数だけ。
普通、音楽学校には、うじゃうじゃピアニストがいるものだけど。
ピアニストも室内楽に必要な位しか、いない。
おまけに、年齢がバラバラ。若い子もチラホラ。
中学?ガキンチョも多し。メインは、高校を出て、受験してきている模様。
自分は大学出て、さらに一年経ってるから、長老だ。たぶん、あの頃は、ハー、
アジアンでごまかせたのか?
後で知った年齢制限、20才迄?ロザンドがねじ込んでくれたのだろう。
んで、1日おきに校内ホールでコンサート。プロ級。
自分のレベルは、中の下位。皆、信じられない程に、上手い。
それもその筈、
オーケストラに卒業生が出ないと、新入生は入れない。
とんでもない学校だった。
みんな上手いし、自分はアジアンだし、
自分なんて、必要無いかも…。
仕方なく、週末はダウンタウンに演奏に。
これまた、稼げない。
むこうで弾いてる、大陸から来た中国人の相棒は、ジャンジャン稼いでいるのに…。
「バイオリンの弦4本セットとな、親父の給料が、一緒なんだよ。」
ニコニコしながら、そいつが。
全く理解出来ない。じゃ、どうやってあんた、此処まで来たの?とか。
後で知ったのが、
ストリートでは、貧乏に見えた方が儲かるらしい。そうなんだ…。
そいつは1時間で、親父の給料分稼いで、先に帰って行った。
文化庁から給費を月に30万も頂いていたので、
学校もレッスンもタダだし、貧乏では無かった、はず。
でも、江戸っ子なので。
最初に、一年分送られてきたので、直ぐに江戸っ子してスッテンテンに。
だから、貧ぼっちゃま君。
んで、韓国の人達に養ってもらって、沢山友達になれた。
卒業の85年春、上手い子達は、どんどんオーケストラに就職していった。
「ソリスト?お前夢でもみてんのか?」
夢みてないんか?アメリカンは。
オマケに、どこでもそうだけれど、
こんなに弾けて、どうするの?的な、上手いやつ程、辞めちまう。
桐朋の時もそうだった…。いつも、中の下位にいたはずなんだけれども。
上手い人は、満足しちゃうのかな?執着無し。別の職業へ。
あのままアメリカにいたら、確実に辞めていたかも。自分の場合は、上手かったからは無いけど。
その夏、ザルツブルグに移住、音楽に目覚めて。
次の年 86年夏、葉加瀬と運命の出会い。
辞めなくて、よかったかも…。
色々思い出す、辛く、されど自慢の?カーチス ライフ。
もう一回、ハリウッドのオーケストラと17日に弾きます。
ありがとう、アメリカ!
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