ベルリン レコーディングから帰国


古澤巌コンサートスケジュール

ベルリンフィルハーモニーザールの中で、先ずは撮影。12月のツアー用。

「ビオラのイグナツォが、写真のプロだから。」

?いつも彼が撮っているらしい。

最近の彼らの写真を見ると 、確かにいい写真だし、イグナツォも?写っている。意味がわからないけど…。

ベルリンフィルのステージをバックに。

「誰もこのバックでは撮ったことが無いよ。」

自慢気にイグナツォが言う。

それもそのはず、真っ暗。撮れんのか?ライトつくよね?つかないらしい…。

このビオラのイグナツォは、とてもいいビオラを弾くポーランド人。

そして、いつも苦虫を噛み潰したような表情で、

全然違う場所を弾いていたり。

皆が急いでいるのに、悠々とタバコ吸ってたり。

アーチストな、おもろい人。その彼が、車が買える程のカメラを持ち出してきた。

で、彼も写らなければならない。まさか。

まさかの、オートシャッター。この結果は、webで。

ではなくて、TFCパンフレットに載せます。

ベローナからの作曲家、ロベルト・ディ・マリーノさんも登場。

今回は、バンドネオン・コンチェルトを、バイオリン コンチェルトに改造。もう一曲、マリーノのツィガーヌも。

ロベルト曰く、

「歴史上に既に、バイオリンコンチェルトは数多くある。だから、まさか自分が新たにバイオリン曲を書くなんて考えてもいなかった。」

確かに。でも、皆が 大好きな映画音楽の巨匠、

モリコーネが書いてくれたか? あのピアソラが、バイオリンコンチェルトを書いたか?

書いてない。 なら、誰が今、書くのか?

ロベルトでしょ。

今回の曲は、更に美しく、ソロも、合奏も難しい。

きっとまた、スーパーエンジニアのフォルカの魔法で、助けてくれるだろうけど。

今年のレコーディング場所は教会。やたらに音がいい。マイクのセットも慣れたもの。リハーサルを始めても、何ひとつ動かさなかった。

ドイツのトーンマイスター制度がいいのか、それとも、たまたま出会ったフォルカの精度が凄すぎるのか?

渡航する前1週間、練習スタジオに通いつめた。

幼い頃、楽器の構え方を間違い、肩をはずしたまま今頃、治そうとして数年。

先週TFCの衣装合わせをしたら、なんと両袖の位置がやっと同じに!

今までずっと、左肩だけパッドをいれていたのに…。

それでも演奏する度に気を付けないと、すぐに肩の激痛で眠れなくなる。渡航前の練習しすぎで、最悪に。

(トリトンの時だけ、肩をはずさなかった。だからまた、必ずできるはず。)

だんだん腕まで役に立たず、録音中、指までもつれてきた。まずい。

でも、教会の美しい響きと、ベルリンフィル・ヴィルティオージの仲間に支えられ、終了。

今まで、こんなに練習したことなんて、なかったからなー。

各楽章に散らばるカデンツァ(ソロだけの部分)だけ録り残した、2日目のレコーディングが昼に終わり。

ランチを食べて、ホテルで倒れたら、次の朝になっていた。
無理矢理、肩を動かしてみたら、だんだん治ってきた。やはり安光先生(トレーナー)の言う通り、痛めたら動かさないと治らない。

壁が無くなった後に、グローバル(旅行)で ベルリンに来たことがある。そして久しぶりに昨年、そして今年。

新しい建造物のデザインが、個人的には気になる所だけれど。

対して、大戦で完全に破壊された筈の、

幻の光景が、甦ってきている。

CDジャケットの撮影は、コンチェルトハウス 広場で。

これも、古く見えて、まさかの再建築?ありえないけど…。

これから更に昔の「城」まで復元するとか。勿論、設計図無し。写真だけを頼りに。

日本の各地に、城を復元するような感じ?

叶わぬ夢?なれど、是非ともそれ、見てみたい。

ホテルのテレビのチャンネルの中で、

毎日 必ず、戦争時の映像が流れている。日本では見れないようなシーンまで。

音楽で、世界を平和に出来るのか?

パリ乗り換えで、昨年すっぽかされたベルトロン(バイオリン)の家に、初めて入った。

コルシカ生まれの料理自慢の彼らしく、
でかい牛肉、巨大ココットの羊。勿論、コルシカのハムは欠かせない。

ステファン(ソルティエバンドのピアニスト)も駆けつけて完食。

エッフェル塔のたもとに、こんな町があったとは。町の中で、クラシックカーやスーパーカーが走ってる!

ベルリンですら、ポルシェを2台確認したのみ。

まあ日本が豊か過ぎるのかもだけれど、夏のスイスやモナコ以外で?綺麗な車を見たのは久しぶり。

この時期、終戦記念日として、どこも通行止めやら、店も開いていない。

ああ、だから戦争の番組ばかりやっていたのか…。

夜更けまでどこも皆、賑わっている。

町のあちこちに、人気者ベルトロンのポスターが。

20年前に、たまたまステファンに遇い、古き良き時代のサロンバンド「ソルティエ・ドゥ・アーチスト」の一員として来日して以来、ベルトロンも大の日本びいき。

フランス放送響のコンマスになり、コルシカ音楽祭の総監督に。ルグランオーケストラを率いたり、毎年アコーディオンのガリアーノと、来日もしている。

「日本でイワオのステージを見ていて、俺もいろんな事を始めたんだよ。島国に育った俺たちのルーツは一緒なんだ。」

海洋民族同士の絆が、ここに。

音楽で平和を。祈りを。

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