ドリトスの父、アーチ・ ウエストが本日、ドリトスと埋葬される。
なんと97歳、大往生。
自分は、ポテチの無い家庭に育った。ポテチはいつも、母の手作りだった。
そういえば、銀座のマック第1号店に連れていってもらったのは、一度だけ。
その後は、家でハンバーガーが出てきた。
きっと昭和だから、作れる物は、家で作っていたんだと思う。
父は、小さなスピーカー作り、子供たちのベッドにくくりつけていた。いきなり家の壁を突き破り、間取りを変えたり、住んだまま、風呂場を増築しているのも見た。
だからか、ポテチは無かったし、興味も無かったわけ。
で、アメリカに渡ったある日、街角にちょこちょこある「デリ」で、中学生位の同僚が、ピンナップガールの雑誌を真剣に見ているのを見つけた(音楽院は、子供から入れる。自分が最年長だった)。
しばらく仲良く、美しさにも程がある女神達を拝んだ後、ガキと立ち読みしていた自分をごまかすために、よくわからず大きな袋の何かを買って帰った。
それがドリトスとの出会い。
初めて食べた感動は、今でも忘れられない。おまけに、いつまでも無くならない程のアメリカンサイズ。
ドリトスは少しだけかたいけれど、とにかく興奮して食べまくった。
と、その時。
なんと三角形の硬いドリトスが、喉の奥に止まってしまった!
ガッチリと、三角形のそれぞれの角が、ロッククライミングの楔(クサビ)の如く、喉の奥でびくともしない。
これはけっこう身動きも辛い。勿論、水とか飲んでみた。でも、ごっくん が出来ない。その塊は、余りに硬かった。
待った。しゃべれ無いから、助けも呼べない。この先、自分ははたしてどうなってしまうんだろうか?
体験した事の無い、じわじわと迫り来るこの恐怖。
とても長かった… 。
その後の事は、覚えていない。そして、まだこうして、生き長らえている。
もうひとつ、美味しくて喉に詰まらした、サラミ事件というのもある。サラミだけに。
ついでに語ろうか?
ヨーロッパで腸詰めは、各家庭で作っている。だから、何かと食べる機会が巡って来る。
ある昼下がり、フランスのとある城で、バンド仲間と軽いランチとなった(なにげに城でランチが洒落ている)。
ワインを飲みながら、サラダにパンに、ハムやサラミ。シンプルでまことに美味。
自家製サラミは、まだ、少しだけ柔らかかったけれど、大好きな味。皮を外しながら食べていたつもりが… 。
突然、息が出来なくなった!
何が起こったのか?し、死ぬぅ~!
何かが喉にいる。でも何故?
喉に何かが詰まった感じでは無い!何だ?息が全くできない。
とっさに掃除機を口に突っ込むわけにもいかず、もう限界、手で、エイヤっ!
どうやったのかわからないけれど、皆、笑ってるし。こちらはそれどころではない。必死で何かを掴んだ。
スッポーン!と抜けたそれは サラミだった。
なんと、サラミのまわりの薄い皮の呪い。
皮を剥くのを忘れただけで、こんなに恐ろしい目に遇ってしまうものなのか。
解説しよう。
薄く切ったサラミをいただいた時、皮も少し位は気にしないで食べてしまったものだから、さあ大変。
噛んだサラミの塊に、まだ皮が着いているわけで。
そして、その周りの皮の切れ端が、なんと自分の奥歯に挟まった!
さあ奥歯に挟まった紐状の皮の反対側の先に、まだくっついていたサラミの塊が、ヨーヨーみたいになって、ちょうど気官をふさいでしまっていた!
そんなバカな。
九死に一生を得た。
なわけで、今夜は「ドリトス記念日」。
ドリトスに乾杯しよう。