実は、何もできない。
何も感じない。
何もわからない。
合気道の黒帯を持っているが。
一寸先は、常に闇。
それでも、胸を起こせば、きっと。
見えない何かに、出会えるのか。
身体のどこかに、少しでも、ほんの少しでも力をいれたら、決して技がかからない。
あたかも、高橋悠治さんの言う「演奏」のよう。
自分には、まるでない、「気」を育てたいのだが… 。
何処にも属さない河西泰山先生の居合も、ただただ美しかった。毎朝、早朝の朝稽古。
20年前に始めて、何一つわからなかった。
そういえば、ナタン・ミルシテインのレッスンも、8年も通って全てが?だったのを思い出す。今までに、見たことも聞いた事もない演奏だから、仕方もないけれど。
5年程前、合気道を始めた頃は、熊本万正館の、砂泊先生の神業を伝えていただいていた。
直門、松葉一路師匠が毎月、宮崎の日向から、私の為に来て下さる。本来禁じられていた試し斬りも、ご自身が日本一の刀工であるがゆえ?斬って斬って斬りまくった。
時が経ち、師匠も独立、東京道場も、10人を越えた。
毎月お会いする度、師匠は新しい方法で教えて下さる。世界中を旅し、日本中の武道や気功の達人の話を聞かせてくれる。
合気を学びながら、何が自分の居合に欠けていたのか痛感する。そして、居合の教えと同じく、自分の演奏の支えとなっている。
「合気とは愛なり。」
闇の中、上を見上げて、
きっとそうなんだ、わかりたい、と願う。